『spira mirabilis』批評

粕谷栄市「典雅な秩序の表出」(共同通信1993.11 より)

河野道代の詩集『spira mirabilis』は、少々気恥ずかしい形容をすれば、実に久しぶりに、私たちが手にするみずみずしい珠玉の詩集である。

表現の現実を失って、幾重にも分裂する意識と言語の迷走、ここには、そのような現代詩の閉塞と全く無縁な、典雅な秩序の表出がある。

それは、出口のない今日の人間の内部の言語の状況を、新鮮な外部の現実となし得ていると言えるかもしれない。

 

 

守中高明旋と物質」(海燕1993.12 より『反=詩的文法』所収)

河野道代のおよそ十五年ぶりの新刊『spira mirabilis』(書肆山田)は、今後繰り返し繙かれることになるだろう。言葉と物質と情動の、素晴ラシキ螺旋運動が、頁をめくる手の中から静かに立ち昇ってくるこの本の魅力は一口には語りがたい。しかし、断言するが、これは、その企図の尖鋭と繊細さにおいて、この十年間に産み出された女性的エクリチュールの中で最高度の何かを差し出している。

 

 

中村鐵太郎「驚異旋――可能態について」(『詩について――蒙昧一撃』1998 所収)

河野道代は誰もが夢見るがのりださない冒険を企て、否定に否定をかさねてしかあらわしえないことをさらに否定して、しかもついに肯定にいたる至福とは取引きせず、空気にまぎれていく書記に同化しようとする。(略)崖っぷちの岩の硬さと悲しみを思わせる。崖っぷちの書記でありながら、ここにはあらゆる繊細さのカタログを見つけ出すことができる。