河野道代論☞
via wwalnuts叢書08 三松幸雄 著 より
〈古代〉を反復する初期ロマン主義の時代と同様に、今日でもなお、「多くの文学」において「詩」と「思索」は分断されている。ゆえに、「詩の名」においてなされる所与の文学への抵抗は、この状況への能動的な介入を引き起こすとともに、おそらくは能動性と受動性の手前で、来たるべき詩と思索との接合に向けて言葉を用い、言葉をして語らせようとする。私たちが河野道代の『spira mirabilis』におけるいくつかの詩篇の内に聴き取ってきた形而上学的な旋律と韻律は、おそらく、このような詩学の理念性に由来するモティーフを、その作品に特有の言語のなかで歴史的に反復している。