『銅版風景』批評

飯吉光夫「ポエジーの武器」(現代詩手帖1978.2より)

感傷的なものを殺した末でのきびしいポエジーをもとめていることは明らかだろう。しかもこのきびしさは、たとえひとりぼっちになっても天に歌いあげていくだろうといったけなげな態度までも含んでいて、暖衣飽食の生半可なポエジーではわたしたちの危機のときに対処できないのではないかという問いかけまでも(作者にはおそらく無意識のうちに)読者に対してはらんでいる。女性的な(天使的なといってもいいけれど)意志が天変地異をふくむ自然界の物象的現象に拮抗しようとする〝風景〟(と作者はやさしいことばで言っているけれども)を、ぼくらは新しく生まれようとしている現代詩の読者として、めざましいもののように眼のあたりにすることになる。